ゆりゆりぐさ

要するにブログだな。

明けましておめでとう2019

ゆりゆりぐさが始まって、なんともう6回目の新年お迎えです\(◎o◎)/

気づけばあれから自分のこと、周りの人のこと、色々なことが変わりました。

今年は何かと報告のある1年になりそうですが、頑張りたいと思います。

多忙につき手短な更新ですみませんが、今年もよろしくお願いいたします。

災害の年、最後に託す希望

もうすぐ2018年も終わります。

年末はいつも何かと慌ただしいものですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 

今年は災害の年でしたね。

豪雨、猛暑(というか酷暑)、地震、台風……災害列島なんていう言葉が、悲しいほどよく似合っています。

大きな自然災害があまりに多すぎて、いつどこで何が起きたか、もう覚えていられないという方もいらっしゃるかもしれません。

私の住まう地域でも、今年の7月、いわゆる西日本豪雨で色々と影響が起きました。

しかも、前年の夏に襲われた九州北部豪雨から、ちょうど丸1年経とうかという時でした。

今私の住んでる周辺地域がどんな状況なのか、この記事を読んでくれた方に少しでも伝わればと思い、先日写真をいくつか撮ってきました。

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上2枚は放水路です。

川底が抉られて、大きめの石がゴロゴロ転がっています。

かつてここにはラグビーコートがあり、昨年の豪雨のあとも復旧されたのですが、今年夏の大雨で再び流れてこの状態になりました。

綺麗に埋め直されるには、まだまだものすごい時間がかかりそうです。

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桂川に面した崖です。

これを撮影した当時はご覧のように工事が始まり、綺麗に整備され始めていましたが、それでも崖の荒い岩肌が剥き出しです。

今年春ごろに初めて見た時はもっと壮絶で、倒壊しかけのコンクリートの建物が不安定にぶら下がっている状態でした。

自然の力を見せつけられ、足がすくむ思いでした。

 

それでも、たくさんの人たちのおかげで、確かに復興へと向かいつつあります。

二度の大雨でとてつもない量の流木が貯まって、あちこちの河川敷や空き地に積み上げられていたのですが、先の写真を撮りに行った日には全て綺麗に片付いていました。

私たちさえ諦めなければ、きっと美しい住みよい故郷が戻ってくる。

そして来年は、皆の愛する場所が脅かされることなく、全ての人が安心して暮らせる1年になりますように。

そう願わずにいられません。

 

なかなかブログと向き合えない1年ではありましたが、読んでくれた皆さま、本当にありがとうございました。

良いお年をお迎えください。

『びじゅチューン!』から考えた解釈の自由

今年、母娘で大いにハマったTV番組があります。

Eテレで水曜日に放送されている『びじゅチューン!』という5分間の番組です。

映像作家の井上涼さんが、日本や世界の様々な美術作品を自作のアニメーションで紹介する番組……なのですが!

 

とりあえずいくつか動画を見ていただきましょう。

まずは、エドヴァルド・ムンクの超有名な絵画『叫び』をテーマにした作品↓


ムンクの叫びラーメン『びじゅチューン!』

なんで?なんでラーメン?!

と思わずにいられないでしょう。

本っっっっ当にシュールですよねぇ。。。アニメもシュールなら、歌もシュール。

この番組、題材とした作品についての細かい説明は一切ナシ。歌とアニメーションが、モデル作品の簡単な紹介を挟みつつ2度にわたって流れます(後半は男声コーラス付)

このあまりにも自由すぎる発想とユルい世界観に、母娘でどハマりしました。

あの絵画からラーメンを思ったのは、世界広しと言えども井上さんが初めてでしょう。

 


縄文土器先生『びじゅチューン!』

顔が土器の人にシャツを着せるという発想がもうすごいですよね!

先生なら担当科目は絶対歴史でしょう!なぜ英語?!

なんてツッコミを入れたくなりますが、それ言ったら負けだと思っています、はい。

一見厳めしい顔つきが怖そうだけど、優しい人……いいですね(^^)

 


姫路城と初デート『びじゅチューン!』

私が特に好きな作品の1つです。

わ、た、し、姫路城~♪という軽快な歌、ときどき口ずさみたくなります。姫路城を女の子にしたら、きっとこんな色白で美しく、ガードの堅い子なんでしょうね(^^)

谷くんって誰だよと思ったりもしますが(笑)最後に白壁の頬を赤く染めて恥じらう姿はキュンとします♡

 

数々の名作からこれだけ発想を飛ばして、奇想天外な楽しい作品を作ってしまえる井上さん。

この番組を見ていて近頃強く思うのは、何か作品を見た時の感じ方は本当に人それぞれ違って当たり前のことだし、それがもっと許されて然るべきだということです。

最近は物騒なもので、特にSNSを中心に「あの作品(もしくはキャラクター)についてのあなたの解釈は嫌いだ!話すのをやめてください!」「私の解釈は公式と違った!がっかりだ!失望した!」などと発言してトラブルになったり、酷いと作り手側がそうしたネガティブな発言を収拾しようとそちらに寄せるあまり、悲惨な結果となったり……なんていう話を聞かなくもありません。

私はそのようなトラブルにはあっていませんが、それでも何かを見た時の感想が他の大勢のファンや公式と違ったりすると「あ、私の感想は的外れだったんだ。私って何も分かってなかったんだ…」という落ち着かない気持ちに苛まれます。

でも、この番組に出会って少しずつ前向きになれました。

自分と違う感じ方があってもいいじゃない。

それによって世界は広がるし、面白いものがうまれることもあるんだから。

井上涼さんという素晴らしいアーティストに巡り合えたことは、私の財産です。

 

 

  ※注意

この番組で流れるアニメーションは、マジで癖になる中毒性があるので心して視聴してください。

私もこの番組の影響で、別の機会に縄文土器を見ることがあると「あ、縄文土器先生」と思ってしまうようになりました。

母に至っては、フェルメールの某有名な絵画を見ると「何にでも牛乳を注ぐ女!」と言っています(笑)

永田萌さんのイラストと私

気づけば9月も終わり。いかがお過ごしでしょうか。

あの尋常ではない猛暑もようやく収まり「やった~~~!!!」とバンザイ(∩´∀`)∩している今日この頃です。

せっかく到来した芸術の秋なので、それらしく本の紹介でもいたしましょう。

 

先日、すっかり整理された絵本の棚を何げなく覗いたところ、とてもとても懐かしい物を発見しました。

もう長いことしまいっぱなしになっていたそれは、子ども時代の私の心をつよく捉えて離しませんでした。

一輪ざしのバラード (1981年)

一輪ざしのバラード (1981年)

 
妖精村通信―わたしの好きな少女たちへ… 永田萠画集

妖精村通信―わたしの好きな少女たちへ… 永田萠画集

 
妖精の季節―永田萠画集 (1980年)

妖精の季節―永田萠画集 (1980年)

 

イラストレーター・絵本作家、永田萌さんのイラストで彩られた、妖精がテーマの本でした。

聞くところによると、母が昔これらの本を取り寄せていたそうで。

カラーインクを使って、可愛らしくて可憐な妖精や少年少女の世界を色鮮やかに描く永田さん。そこに添えられるは、永田さんもしくは詩人のきのゆりさんによる、これまた可愛らしく時にお茶目でちょっぴり大人っぽいポエム。

空想や創作、物語世界が大好きな小学生だった私は夢中になって読みふけりました。

(水彩絵の具で描いていると先日まで見事に勘違いしておりましたが。。。)

大人になった今読み返しても、当時と変わらず瑞々しい気持ちにさせてくれます。加えて、当時漠然と大人っぽい印象を抱いていたポエムの一部が、これまで重ねてきた人生により少し味わえるようになっていたり……

 

そして、ふと、自分の絵のことを振り返りました。

近年ツイッターピクシブ等でイラストを発表することが増えた私ですが、そこで時々「かわいい」「自分が既に失った純粋な可愛さがある」「優しさが溢れてて胸が温かくなります」といった感想をいただくことがあるのです。

「あれ、これ…もしかして、私が昔永田さんのイラストを見て感じていたことそのものじゃない?!」と、それこそイナズマが直撃したような衝撃を覚えました。

学生時代もずっと絵を描いていて、漫画家になることを本気で考えていた時期もありましたが、私よりもずっとカッコいい作画や面白い創作をする人はたくさんいます。

何が他人にウケて評価されるのか、自分が何を目指せばいいのか分からずにとても悩んで、無理やり自分らしくない作風を目指して必死に背伸びしていた時期もありました。

けれど、そうして悩んでいる間もずっと、永田さんの描く妖精やメルヘンの心はずっと心の中にいたのです。

永田さんの絵と過去にいただいた感想を改めて見返すことで、それを再発見しました。

私が愛してやまないのは、やっぱり、子どもの心、無垢で可愛らしいメルヘン・ファンタジーの世界なのだと。

私はこんなにも、永田さんの影響を強く受けていたのだなと、気づかせる出来事なのでした。

 

永田萌さんみたいな、見た人の心を癒す優しい絵が描きたい。

今の私の夢というか、ひとつの目標になりつつあります。

 

 

  ―☆おまけ☆―

永田萌さんのマネージメントを行っている株式会社妖精村のHPがありましたので、リンクを貼っておきます♪

一部作品の閲覧も出来るそうなので、ご興味のある方はぜひ(^^)

www.yohseimura.co.jp

2つのおでかけ

平成最後の夏も終わりますね。読者の皆様はいかがお過ごしでしょうか。

私は例によってお盆商戦が待っておりましたが、それを乗り越えた後、立て続けに2つのお出かけがあったので、その思い出を書かせていただこうかと思います。

 

25日(土)

この日、私が卒業した高校の同窓会総会に出席しました。

私が同窓会のクラス代表役員になっていたからというのもありますが、お世話になった先生が講演にいらっしゃるとの一報を受けて、聞きにいったのです。

その先生はもう80代を越えており、卒業した高校が昔の名前だったころにお勤めでした。当時私の担任だった先生が、私の大学入試の志望理由書を添削するためにご紹介いただいたのでした。

先生と実際にお会いしたのは在学中に1度きりで、大学時代や社会人になってからはずっと手紙で交流を重ねていました。

教職員として高校で過ごした日々や、定年後の生きがいや暮らしを語られた先生のお話は、生き生きとした素晴らしいものでした。出席された他の同窓生の方とともに、笑ったり頷いたりしながら聞き入りました。

前の比較的目立つ席に座っていた私に、先生はすぐ気づかれたそうです。そして、講演後にご挨拶した時も「お勤め、頑張ってね」と言ってくださりました。

後日送らせてもらった感想の手紙にも「私の講演をどんな気持ちで聞いてくれたのか分かって嬉しい」と、お褒めの言葉をたくさんいただきました。

同窓会や講演が終わった後、今度は担任の先生とかつての教え子の方、そして私の3人で、市内の小さな食事処で食事をしながら語り合いました。先生のイチオシだった人生初のグリーンカレーは、辛みが効いてておいしかったです。自然と近況や今後等の話も弾みました。

2人の恩師の先生との交流を通して、仕事で忙殺されていた心が潤いを取り戻して伸び伸びしていくのを感じました。

SNS等での、顔を合わせることのない関わりが珍しくないこの時代、顔を合わせて話せる人との関わりを大切にしたいと思います。

 

29日(水)

博多で開催されていた、U-FES Museumとcafeに行って来ました。

YouTubeに動画を上げて活動している人気YouTuber。そんな皆さんが毎年一堂に会するお祭りイベントU-FESの歴史を振り返る展示会U-FES Museum、そしてYouTuberの皆さんがプロデュースしたカフェメニューが食べられるというU-FES Museum cafeが、全国5か所で開催されたので、博多会場のイベントに足を運びました♪

こちらは写真があるので掲載しますね(*^^*)

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博多の書店内で開催されていたU-FES Museumの入り口の写真です。

中には写真パネルや映像、実際にYouTuberのみなさんが動画・イベントで使用した衣装や小道具などが展示されていました。「あ、これあの人があの動画内で作った物だ!」みたいな感動を味わいましたね~(^^)

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こちらは天神パルコ内のスイーツパラダイスで開催されていたU-FES Museum cafeでいただいたメニュー。福岡限定メニューの釣りよかパスタ(コラボ元:釣りよかでしょう)と、鳥。(コラボ元:Fischer’s)の2品です。

パスタは、ふんだんに使われた魚介のうまみを感じられてとっても美味しかったです。鳥のから揚げは全く違う3種類の味が楽しめる、食べるごとに驚かずにはいられない楽しい一品でした。大満足です♪

ミュージアム・カフェどちらも、若い人でいっぱいでした。カフェでは来店したほとんどの人がYouTuberコラボメニューを注文しており、店内でも「あ、○○さんの映像だ!」などという会話を頻繁に耳にしました。

今や動画サイトは、テレビやラジオと比べても負けない、若者文化をリードする存在になっていて、YouTuberと呼ばれる動画投稿者さんは、タレントの新しい形・あり方を示しているんだと強く感じたものでした。

 

過去を尋ね、今を巡る。

私の”夏休み”を彩ってくれた、対照的と言っても過言ではない(かもしれない)2つのお出かけの思い出は、私を大きく広げる糧となるような気がしています。

お墓じまい

先週、親戚の人たちが集まって、お墓じまいをしました。

私の実家のすぐ前には、親戚一同で代々伝わるお墓があるのですが、お墓の清掃・管理が出来る人が少なくなったため、中のお骨を取り出してお寺の納骨堂に納めることになったのです。

地方の高齢化とか過疎化とかが叫ばれて久しい日本ですが、今回このお墓じまいの話が持ち上がったことがきっかけで、改めてその深刻さを実感することとなりました。

 

お世話になっている住職の方に来ていただいて、お経を唱えた後、お墓からお骨(骨壺)を出したのはよかったのですが……

なんと、私の祖父以外の壺には名前がかかれておらず、誰が誰のか分からないという珍事が発生(; ・`д・´)

こういう形で先祖のお墓を動かすことになるなんて、当時の人たちは多分想定していなかったでしょうし……それが少し関係あるかもしれませんね。

ただ1人名前が書かれていてはっきり分かった、祖父の遺骨と対面。

お墓に納められていたご先祖様の中で、唯一私がはっきり分かる人。

私が5歳の時にあの世に旅立ったので、記憶はあまり多くはないですが、豪快で、皆に慕われ、いつも病床から私に気さくに話しかけてくれた祖父。

懐かしさに思わず「おじいちゃん!」と呼びかけた私なのでした。

還暦の母

先月、といってもほんの数日前ですが、母が誕生日を迎えました。

60歳。還暦です。

いつも元気に働いている母がそんな年齢を迎えるのは、なんとなく遠い未来の話のように感じていた自分がいましたが、遂にその時がおとずれたのです。

 

母が私や兄を産んだのは30歳を過ぎてからのことで、同世代の人たちに比べると少しだけ高齢なのです。

改めてそれに気づいたと、母に打ち明けてみると

「そうだよ。若い人は20歳ぐらいで子ども産んだりするんだから。アンタと同世代の子のお母さんでも、若い人は45歳ぐらいだったりするのよ」

と話してくれ、直後に「悪かったね?(笑)」とおどけてみせるのです。

ということは……

"その時"が訪れるのが、もしかしたらその分他の同世代の人達よりも早いかもしれないということなんですよね。

ただでさえ仕事は大変なのに、離婚も経験し、私や兄のことでずいぶん迷惑をかけたのに、それでも悲しんだり落ち込んだりしている姿を見せたことはない母。

私が出来る最大のことといえば……

やっぱり、ちゃんとした一人前の人間であること。

何事も親に頼りっぱなしにしない、恥ずかしくない自分にならなくちゃ。

 

そんな母が、幼い私の色々なお祝いのたびに買って来てくれたのは、ケーキ。

誕生日当日、仕事が終わったあと、まだ営業しているケーキ屋さんはないかと探して、母の好きそうなケーキを悩みながら選び、買って帰りました。

それは幼い頃に自分がしてもらったことの真似ではあるけれど、

「母さん……、ハッピーバースデイ!」

幼い頃のお返しが、少しでもできたでしょうか。