ゆりゆりぐさ

要するにブログだな。

コピックアワードに挑戦しましたレポ

レポート系の記事は本当に久しぶりですね(←そもそもブログ自体しばらくご無沙汰してた

ツイッターで親交のある方の一部はもうご存じなのですが、私ゆりら……

コピックアワードという、コピック(Tooグループが開発したアルコール系マーカー)および関連画材を使ったアート作品のコンテストに挑戦してきました!

具体的にどんなコンテストなのかというと(以下公式ウェブサイトから引用)

「COPIC AWARD」とは、コピックを使用し創作された作品を発表する場をインターネット上で提供し、世界中のコピックファンを作品でつなぎ、コピックでの作画・制作をより楽しいものにすることを目的としたイベントです。

とのこと。

今年は世界各地から2000点以上もの作品の応募があったそうです。

今まで雑誌の読者コーナーへの投稿など色々挑戦してきましたが、世界規模のコンテストへの挑戦は初めて。なので今までになく緊張しながら、それでもベストを尽くして参加して参りました…!

 

そんな私の応募作品をご覧いただきましょう。

こちら!

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https://copicaward.com/ja/work/detail/1693

作品名:月の出

日没後に出た月が綺麗なみかん色をしていたことに感動し、そこからインスピレーションを受けて描いた作品です。

まるで天空の誰かを想い、頬を赤らめ恥じらうようにも見えましたね^^

平安時代を描いた絵巻を思わせつつ愛らしい印象で仕上げることを目指しました。

結果はぁあ~~~~~~~~………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一次審査で落選!残念

当時は全力を尽くしたと思ったのですが、率直に言って「頭の中のイメージをどうにか辿って、服飾の考証もしたうえで形にする」ところで精一杯で、

その先の、オリジナリティ・表現を突き詰めてアートに昇華する段階までいけなかったという感じですね。

もう少し分析すると

●夜空の広さが上手く演出できてない。人物が小さくて画面が寂しい

●手前の月見草もっといっぱい描けばよかったかも

●広い面を均一に塗るのには向いてないのに、1色でフラットに塗ってる所がほとんど。コピックならではのぼかしや混色技法がほとんど活きてない。これならデジタルで描いた方がよっぽどムラなく綺麗にできたのでは

●リアルに描きたいのか、デフォルメして抽象的に描きたいのか、どっちやねん

●やっぱり基本の画力というか、デッサン力というか、が足りてない

なんていうところもネックになった気がします。

そして一番は、個性!私ならではのオリジナリティ!

コピックをご愛用の漫画家・イラストレーターの窪之内栄策先生が、アワードの公式ツイッターアカウントで次のようにコメントをしておりました。

私が唯一無二の表現で魅せる音楽アーティストを好むように、私自身も、誰かと代えのきかない唯一無二の絵を描きたい。さて、ではその私にしか出来ない表現とは何だろう。それをずっと考え、思いを巡らせながら制作に当たっていたはずなのですが……

結局今回の私の絵は、愛らしい絵柄で描く誰かの劣化コピーでしかなかったのかもしれません。

 

 

 

 

あ~もう!

書き連ねてたら悔しくなってきた!!

次回は絶対、最終審査まで進んでやる!!

スピッツと共に生きているんだなぁって話

このところ私の好きなアーティストの曲が様々な方面で聞けるようになってワクワクしているゆりらです。^^

連続テレビ小説なつぞら」の主題歌がスピッツだし

みんなのうたでは谷山浩子さんが「花さかニャンコ」で十数年ぶりに歌でご登場だし

大好きなボカロPきくおさんの曲がYouTubeにて24時間聞き放題の配信が始まるし

 

そんなわけで感想含め話したいことは色々ありますが、今回はスピッツのお話です。

スピッツは過去2回ほどブログで書いたことがあるのですが

 

yuriyurigusa.hatenablog.com

(ちょうど3年おきに書いてるんですね ゚Д゚)

 2013年当時は単に雰囲気・ムードを楽しんでいる節がありましたが、2016年頃には少しずつ、歌詞の意図や込められたメッセージに気づけるようになりました。

この年月というのは、私が大学生→社会人となり働き始め、世の中とは、生きていくとはどんなものかを理解し始めたという、人生の中で特に大きな変化を遂げた頃でした。

2つ目の記事を書いたのはまだ新卒で働き始めて2ヶ月ほどの時でした。それでも当時の私なりに、学生時代と今は違うことを肌で敏感に感じていた気がします。

あれから、色んなことがありました。そう簡単に超えられない壁に幾度も悩まされ、自分が嫌いになり、壊れそうになって、今一度自分を見つめなおし、ひと休みした後、新しい道を見つけて歩き出そうとしている。

そんな2019年現在の私が、ぜひ皆さんに聞いてほしい曲は……


スピッツ / スピカ

歌詞が瑞々しければ、メロディもサウンドも何もかもがとにかく瑞々しい。今ここに存在している奇跡で胸がどんどん満たされ、満杯になってもなお降り注ぎます。生きててよかった。自分として生きてるってすごい、素晴らしい。この曲からはそんなトンデモ規模の喜びを受け取らずににいられません。

とにかく聞いてほしい。出来たら歌詞もじっくり読んで味わってほしい。本を読むみたいに。

「幸せは途切れながらも続くのです」というサビの歌詞に励まされたという人が本当にたくさんいるのです。私も仕事を辞めるまでの間そうでした。

個人的には2番のサビの歌詞もまるまる大好きです。

夢のはじまり まだ少し甘い味です

割れものは手に持って運べばいいでしょう

古い星の光 僕たちを照らします

世界中 何も無かった それ以外は

( https://www.uta-net.com/song/10486/ より)

ここだけで何だかもう空に向かって叫びたい気持ちになります。

なんで草野さんは壮大な喜びをこんなに簡単な言葉で感じさせることが出来るんだろう。天才という言葉が安っぽく感じてしまうほどの、本当の天才だと思います。

スピカはおとめ座の1等星。おとめ座は星占いでは9月ごろですが、実は夜空で見えるのは春。ちょうど今頃でしょうか。

もし、夜空を見上げることがあったら、この歌の存在だけでもぼんやりと思い出してもらえたら幸いでしょうか♪

 

青春らしい若さの謳歌も恋も何も無かった地味な学生時代、スピッツの音楽はいつもそばにありました。どんな音楽も受け付けないような苦しく辛い時、スピッツだけは聞くことが出来ました。

これからも私はスピッツの歌を共にして、生きていくのでしょうか。

動画投稿しました!「グッバイ My Dear うごメモライフ(完全版)」

突然ではありますが、YouTubeに動画を投稿して参りました!


グッバイ My Dear うごメモライフ

ちょうど1年前の今日、任天堂が提供していたうごくメモ帳3D用の作品投稿コミュニティ「ワールドうごメモギャラリー」が終了しました。

その終了に伴い、今まで投稿したうごメモアニメの集大成的作品を投稿したのですが、それは本来考えてたものの半分ほどしか出来ていない未完成状態でした。

元々この形で投稿したかった!という所まで仕上げ、さらに音楽も直録音ではなく編集ソフトを使って良い音質で入れた、完全版という位置づけの動画作品です。

先代のうごメモがきっかけで生まれた、漫画『希望の風サティ』の主人公でもあるマイキャラクター・サティに導かれて、うごメモと共に表現の世界へ踏み出す私自身の姿を、若干ファンタジー風味で描いたものです。過去作のキャラクターも総出演です。

とにかく心身の余裕がなくて制作が長らく滞っていたのですが、退職後の休養を経て調子を取り戻してからは早かったです。1年越しだけど完成させられてよかった。

やっぱり苦労したのは身体の動き全般ですね。どこをどう動かすと、どう変化するのか、頭で考えても到底分からないので、実際に自分でポーズなぞとったものです。

前作「塵塵呪詛」では光の筋や塊がふよふよ動いてるだけでしたが、それでも動きをつけるのは大変でした。今回は人間のキャラクターだったから尚更……もう、自分のこと褒めて労いまくらないとやってられないッス(笑)

また今回はミュージックビデオではないので、流れるBGMにあまり合わせすぎるとかえって不自然な印象を与えると思ったので、合わせる所とそうでない所を組み合わせてメリハリを出すように意識しました。

色々ありましたが、総合するとまさに読んで字のごとく「自分らしい」作品が作れたと思っています。もはや私そのものですね。

 

前回話せなかった、うごメモと私の話をしましょう。

私は小さい頃から絵を描いたり作ったりすることが好きでしたが、家族以外の他人に見せることには臆病になっていました。

そんな私を変えたのが、うごメモとの出会いでした。

うごメモはてなの世界を覗いた時、全ての人が本当に楽しそうに輝いて見えました。

アニメのような動く作品を作る人、イラストを描く人、オリジナルの漫画や小説を連載している人、バトンリレーや合作という形で一緒に作品を作っている人、誰かの考えたオリジナルキャラクターを描きあっている人……

皆がそれぞれに好きな物を描いて作って、気軽に見せ合って、繋がりあっているのです。私にとっては静かだけど凄まじい衝撃でした。

(もしかしたら私が描いた物も、見てもらえるかもしれない!)そう思って、漫画『希望の風サティ』を連載し始めました。

やがて私の作品を楽しみにしてくれる人が集まってきて、感想をいただいたり、漫画に登場するキャラクターを描いてくださったり、そんなことが増えていきました。

「私の作品を見てくれた!楽しみにしてもらえている!」と心の中は喜びでいっぱいになり、希望も湧いてきました。

うごメモと出会う前の私は、周りに私よりもずっと絵が上手い子がいることをよく知っていて、皆が好きな物と私の好きな物は違うし、私の作る物に魅力なんてないしどうせ相手にされない、等々とにかく怖くて悲観的でした。

しかし、私の絵や作品にも魅力があったんだと気づかされ、もっと描きたい作りたいと明るく意欲的になっていきました。

その頃の私の夢は漫画家になることでしたが、その夢がもう半分以上叶ったような気持ちでした。

うごメモがなければ、今の私は確実にありませんでした。だからもう、本当に感謝しかありません。

一年越しのありがとうを、ようやくちゃんと伝えられた。ホッとしています。

 

 

 

……まぁ、うごメモ自体は当分使うと思うのですが(´-ω-`)

サティも描きたいですし、すこぶる使いやすいのでアニメーションソフトとしても、もう少し愛用していくつもりです。

まだまだ面白いことやりたいと思ってますので、その時はよければ応援お願いします!

もってくれよ、私の3DS~!!

寂しさが増していく

一昨日、大分市へ遊びに行きました。

大学時代の友達に会うためです。

思いがけず行くことになった県立美術館でアンデスの文明展なるものを観覧したり、館内のカフェで食べたサラダの量に驚いたり、休憩中にトークゲームで盛り上がったり色々楽しいことずくめでした。

もちろん話は弾みっぱなし。お互いの近況やこれからのことを聞きあいました。

1人は自分の現状に満足しておらず、どうしてもやりたいことを叶えるために仕事と並行して通信教育で新しく学びなおしたいと話してくれました。その熱意に、かっこいいなと感動していました。頑張ってほしいな。

一番の思い出はアンデス展にて、学芸員の方?から「会場内は写真撮影できますが、展示物のミイラだけは撮影しないようにお願いします」と説明を受けた時、友人が「あ、ミイラが動き出すからですね?」と返したことです(笑)その場にいた知らない人をも巻き込んで一同爆笑でしたw

 

1人とは見送りの駅で、途中下車するタイミングでもう1人とお別れだったのですが、やっぱり寂しいです。

というか、年々別れ際の寂しさが増していってるような気がします。

社会人になると、仕事やら利害関係やら関係なく、なおかつ顔を合わせて同じ時間を同じ場所で共有できる人間関係を新たに築く難しさを感じるようになりました。

加えて私自身も色々見聞きして、今誰かと繋がれていることは奇跡に近くて、ずっと末永く付き合える保障はないんだなということも思い知りました。

だから、友達と顔を合わせて過ごす時間がとても尊くて、その反動で寂しさを募らせてしまうのかなと考えるのです。

下車した駅のホームで友人を見送る時、いつもふざけて変なポーズをしてしまう私。

またそうやって笑える日が来ますように。

また遊ぼうね。

心の闇に寄り添って―鬼束ちひろさんの詩世界

久々に、私の好きな音楽アーティストのお話をしてみようと思います。

語りたいことが山ほどあって、とてつもなく長くなりそうなので、ゆっくりした時にでもおつきあいいただければ幸い。

youtu.be

鬼束ちひろさんという女性シンガーソングライターです。

初めて聞いたのは高校生の頃だったと思います。お笑い芸人さんの歌合戦番組で歌われた「月光」を聞いたのが最初でした。彼女の最も有名な代表曲ではないでしょうか。

その歌詞の世界観に衝撃を受け、レンタルショップでアルバムを借りて聞きました。

それからしばらく間が空いたのですが、一昨年辺りにYouTubeで再び鬼束さんの曲に巡り合い、のめり込んで聞くようになりました。

 

私は鬼束ちひろさんの楽曲についてまだ有名どころしか知らないのですが、その歌詞に強く惹かれるものがあります。

何か、常人にはない鋭敏な感受性や負い目、闇を抱えているせいで、人知れず他人の何倍、何十倍と傷つき迷い葛藤しながらも生きていくしかない、ギリギリの脆い強さのようなものを感じずにいられないのです。(生きていくしかない、というのがミソです)

有名な『月光』の歌詞には、それが特に顕著に表れているように思います。

(以下https://www.uta-net.com/song/12541/

I am GOD'S CHILD(私は神の子供)

この腐敗した世界に堕とされた

How do I live on such a field?(こんな場所でどうやって生きろと言うの?)

こんなもののために生まれたんじゃない

自分のことを神の子と言い表し、自分のいる世界を「こんなもの(あるいはこんな場所)」と半ば見下すような物言い。

何様だ、格好つけてるのかとツッコミたくなる人がいるかもしれません。

それだけ、この歌中の主人公にとって世界は醜く歪んでいて、自分を傷つけるものでしかなくて、とにかく生きづらくてたまらない。しかしその中で例えどんなにボロボロになっても、孤独に襲われることがあっても、投げ出すことは許されない。何が何でも理由なく有無を言わさず生きていなければならない。それはきっと、永遠に地獄が続いていくような絶望でしょう。

突風に埋もれる足取り

倒れそうになるのを

この鎖が 許さない

効かない薬ばかり転がってるけど

ここに声も無いのに

一体何を信じれば?

最後(おわり)になど手を伸ばさないで

貴方なら救い出して

私を 静寂から

時間は痛みを 加速させて行く

なんというか、想像が追い付かずただただ圧倒される、悲痛な魂の叫びです。とてもじゃないけれど、きっとそう簡単に救えなんかしない。鬼束さんはどうしてこんなものすごい歌詞を書けるんだろう。

一方で動画のコメント欄を覗いてみると「自分なんて生まれなければよかったと考えてた時に聞いて久々に涙を流し、生きたいと思った」「死にたくなるたびに聞く」といった感想を目にします。

本当に辛い時、辛い人にとって「頑張れ」だの「希望を持って」だのという言葉はただ虚しく苦しいだけなのです。私にも程度の差はありますが似たような経験をしました。図らずかどうかは分かりませんが、月光はそんな人の心を救う役目を遣わされ生まれてきた、そんな気がしています。

 

私は鬼束さんの曲の中でも月光に似たバラードナンバーを好むのですが、それら全て、月光から受け取った深い闇のイメージをつい基礎として解釈してしまうのです。

『infection』(https://www.uta-net.com/song/14389/

爆破して飛び散った心の破片が

そこら中できらきら光っているけど

いつの間に私はこんなに弱くなったのだろう

足が竦んでしまう事も

気にならない振りをして居るの

私の愚かな病は

だんだんひどくなっていくばかり

自分をごまかしながら生きることにいつしか慣れてしまった自分自身を、かつての尊い輝きを失い穢れてしまったんだと責めているのでしょうか。

悲しいけれど世の中には誰かを傷つけて貶めるような存在もいる。綺麗ごとや真実、理想だけで生きてなんかいけない。そんな世界に対するやりきれなさも感じます。

 

『流星群』(https://www.uta-net.com/song/15153/

呼ぶ声はいつだって 悲しみに変わるだけ

こんなにも醜い私を こんなにも証明するだけ でも必要として

貴方が触れない私なら 無いのと同じだから

これは個人的に先の2曲に比べると、幾分明るい兆しのようなものを感じます。少しだけ自分の状況に希望を持てるようになった頃、特に恋しくなっていた気もします。

何かを望むような言い方が多い気がするのは、きっと歌中の主人公が心の拠り所としてすがれるような誰か(何か)がそこにいるのでしょう。こんな自分だけどどうか独りにしないでほしいと、自虐的に微笑みながらも涙を流し懇願する絵面が浮かびます。。。

 

『眩暈』(https://www.uta-net.com/song/12802/

貴方の腕が声が背中がここに在って

私の乾いた地面を雨が打つ

逃げることなど出来ない

貴方は何処までも追って来るって

泣きたい位に分かるから 分かるから

ずっと望んでいた安寧や平穏を手に入れて、大切な誰かもしくは何かと静かに時を過ごしながらも、心の中には未だ癒えない何かが燻っていて、時々それが姿を現し心をかき乱す、そんな葛藤を描いているように思いました。

本当は一緒にいたいのに、どこかでまだ温かさや愛情を排除しようとしてしまう。そんな心の拒絶反応を「眩暈」というタイトルで表現しているのでしょうか。

 

語り出すと長くなりそうなので、そろそろまとめますが

全ての人間は大なり小なり、心に傷や闇を抱えて生きています。心に巣食ったそうした辛さに形を与え、共感を呼び寄り添うイメージとなり、聞く人々を救う。それが鬼束ちひろさんの歌の真骨頂だという気がします。

歌姫(ディーヴァ)という言葉は、真に鬼束さんに捧げるべき言葉なのではないかと最近強く思わずにいられません。

めんどくさい生き物

前回の更新で退職したことを報告させていただいた時は、温かい応援の言葉などをくださってありがとうございました。

心の底からホッとしています。

正直「逃げてる」「情けないやつ」と思われて見捨てられるのではないかと怯えていたのですが、それは私だけの考え過ぎ、というか思いつめ過ぎだったようです。

 

インフルエンザの大流行もあって外出がままならず、私は家で家事を手伝ったり、絵やマンガを思いっきり描いたり、柴犬を散歩に連れていったり、時にはボ~ッと外を眺めたり、自分自身や家族のためにたっぷりと時間を使いながら過ごしています。

働いている時にはとても出来なかった過ごし方でした。

「貴重な休みなんだから、普段できないことをやらなくては」と気張って、しかし仕事による気疲れのせいでなかなか手がつけられず、絵が描けるのは調子が良い時だけ……というのが以前の休日でした。

そこからガラリと打って変わって、スローペースで穏やかとも思える毎日の中で、自分や家族を見つめることも自然と多くなってくるわけですが

時々、ほんとうに些細な一言や行き違いに対して「段取りが狂った!都合よくいかないっ!!」「全部私のせいだ!もうおしまいだ!!」と怒ったり悲観したり不安がったりする、制御不能な自分が跳び出すことに気づいてきたのです。

手に物を持ってたりすると、感情に任せてうっかり投げたりへし折ったり破壊しようとしかける始末。

自分で自分のご機嫌をとるのが、時々疲れて億劫になってしまいます。

昔から兄弟ゲンカしたとか、クラスメイトが嫌がらせを止めてくれないだとか、そんな嫌な気分に襲われた時に感情のコントロールを失って癇癪を起こすことがありました。しかしもう大人なんだし、今は仕事中じゃないし、家族仲が特別悪いこともないし、そんなに気を立てることも無いはずなんだが。

ある時は暴れ馬のように理性を振り落し、ある時はガラスのようにいくつも細かなヒビが入る、自分ってこんなに制御の難しいめんどくさい心を持って今日まで生きてきたのか、と、最近つくづく思うのです。

 

こんな私ですが、1ヶ月以上もの静養を経て、そろそろまた社会で人様の役に立ちたいと考えるようになりました。

友達とか、恩師の先生とか、家族以外の誰かと会って話したい欲も生まれてきました。

当たり前の心境なのか、それとも焦っているのか。

全くめんどくさい生き物です。

仕事を辞めました。

記事タイトルの通りです。

突然のご報告にはなりますが、大学卒業後新卒で入り2年数か月勤めたスーパーを、1月末をもって自己都合という形で退職しました。

 

ざっくり端的に理由を説明すると、今の仕事が自分に合ってないことに気づき、もっと自分に適した新しい環境を探すため……ということになるのですが

詳しい説明にあたり、今までネット等で表だって話したことがない私自身のあることについて、初めて告白しようと思います。

 

私は小学6年生の時、発達障害のひとつ、アスペルガー症候群と診断されました。

発達障害についてはテレビで特集が組まれることが増えたので、なんとなくご存じの方もいらっしゃるかもしれませんね。生まれつきの脳の発達の偏りによって、対人コミュニケーションや身体感覚など様々な不具合が生じる、というものです。

私の場合は幼少期、地元の方言で話す周りの子と違い標準語で抑揚に乏しい話し方しかできない、先の見通しが分からないと強い不安に襲われる、大きな音・原因不明の音を必要以上に怖がる、思い通りにならないと激しく癇癪を起こしてしまう、などの特徴が見られたそうです。

自分の世界にこもりがちでマイペース、友達と上手く関われない、いわゆる「変な子」だった私は、義務教育(特に中学)時代、格好のいじめのターゲットになりました。それでも、大好きなお絵描きや読書、空想などが心の拠り所となり、また家族や学校の先生方、心療内科の先生など周囲の大人にたくさん支えられて乗り越えられました。

高校~大学になると、私のことを悪く言う同級生はいませんでした。みんなが私の障害を、あくまで一個性だと思ってくれている。そう感じられて、安心して勉強や課外活動などに取り組めました。今でも親交のある、親友と呼べる友達もできました。

 

しかし社会人になって、仕事の中でなんども発達障害が壁となりました。

2つ以上の仕事を同時進行で段取りよくこなせない。他のスタッフやお客様とのコミュニケーションや伝達が円滑にできない。目の前の作業に集中し過ぎてしまい周りに気を配れない。想定外の事態に臨機応変に対処できず、固まってしまう。

タイムプレッシャーがきつく、こなす仕事量もすさまじく多かったので、作業中いつも頭の中は半分パニック状態でした。何かを学び取ろうとか、スキルアップなんて到底考えられなかった。

冷静になれと自分に念じても、パニックは一向に治まらない。段取りを組もうとか工夫してみても、その段取り通りにできない。というか、工夫してることが周囲に工夫と思ってもらえず「勝手に自分たちと違う変なやり方をしてる」としか言われない。

なら、せめて間違いがないようにと周りに確認しようとしたら「それぐらい普通は考えれば分かる」と言われ、自分で考えてやると「なぜ人に聞かないのか」そしてとどめは「もっとしっかりしなさい、あなたは社員なんだから」

もうわけが分かりません。

一部のパート従業員から「適当な仕事してるくせに、私たちより高い給料もらって、社員っていうのはまったく良い御身分ですこと」という嫌味まで叩かれる始末。

わざと適当になんかするわけないのに。

立場は社員なのにアルバイト並の作業能力しかない自分が、惨めで情けなくて、辞めたいと何度も思ったのですが、その度に心の中の自分が口汚く責めました。

(―それば全部自分の怠慢。障害を言い訳に目の前の苦難から逃げるな、愚か者。耐え忍んでやり遂げることこそが美徳なの。分かったら黙ってこれからもず~~~っとここで働きなさい。逃げるなんて、絶対許さない―)

外からも内からも叩かれる構図となった私自身。「頑張れ」と聞けば目を回し、しかし「辛ければ逃げてもいい」という言葉は心が受け付けなくなりました。

次第に私の心身はおかしくなり始めました。イライラを制御できず、自分や物に当たり散らすことが増えました。現実感や意欲が消え去り、大好きな絵も描けなくなっていき、ボーっと過ごすことが増え、時々涙が出るようになりました。

「これ、もしかして……いよいよヤバいやつでは?!」と、さすがに危機感を覚えた私は、高校入学後すぐを最後にご無沙汰していた、かつてお世話になった心療内科にかかることにしました。

話を聞いた心療内科の先生は、私に言いました。

「ゆりらさんは、高校も大学も卒業して、会社に2年以上勤めたんでしょう?

……もう十分頑張ったと思うよ」

それを聞いた瞬間、涙がボロボロ出てきました。

今まで自分は頑張りが足りなくて、そのせいで痛い目にあってるんだ、これは自業自得だと妄信していたのですが、この時おそらく社会人になって初めて「自分は仕事頑張ったんだ」と心から思うことが出来ました。

母にこれを話すと「わたしもそう思う。ちょっとぐらい休んでもいいと思うよ」と言ってくれました。

自分で就活して掴んだ就職先、辞めるなんて言い出したら周りの人は大反対するだろうなと思っていたのですが、そうでもありませんでした。

祖母は、真っ暗な宵のうちから一人出勤することも珍しくなかった孫娘を内心とても心配していたそうで、この決断を聞いてとても安心していました。

親戚の中にも、たまたま勤務先の内情を知っていた人がいて「どこも人間関係が悪いのに、そこに入って行くなんて、ゆりらは大丈夫か?あぁでも希望に燃える若人にそんなこと言えない……辞めたくなったらくれぐれも無理しないように」と、これまた心配していたと聞きました。

 

 

これからは、発達障害などの生きづらさを抱える人を対象にした就職支援サポートのお世話になりながら、もう一度本当に自分に合った働き口を探そうと思います。

たった一人の私自身と、たった一度の人生を大切にするために。

生き直し、再出発です。