ゆりゆりぐさ

要するにブログだな。

ダンサー・大前光市さんの生き方

突然ですが読者の皆さんは、昨年の紅白歌合戦はご覧になりましたか?

その紅白歌合戦にて平井堅さんの「ノンフィクション」という歌のパフォーマンスに出演されていた、義足のダンサー・大前光市さんのことをご存じでしょうか?

昨日・今日と続けて、私はその大前さんのドキュメンタリー番組を2つ見ました。

www6.nhk.or.jp

できないと思う心が障害―義足のダンサー リオパラリンピックに挑む― ハートネットTV

大前さんは極貧生活を乗り越えダンスの道を志すも、15年前、憧れた舞踊団の最終オーディションに挑もうとしたまさにその矢先、暴走車にはねられる事故で左足を切断。

しかしそれでも、片足義足のダンサーなんて通用しないという周囲の偏見にも負けず、自分にしかできない表現、人を感動させる表現を模索し、今や世界中で活躍を続けています。

そんな大前さんが、リオパラリンピックの閉会式、そして紅白歌合戦の舞台に向けて、最高のパフォーマンスを作り上げるためにあらゆる挑戦をしていく記録でした。

 

変な話かもしれないのですが、いつしか障がいだの義足だのといったことをすっかり忘れて、純粋に大前光市さんという一人の表現者・ダンサーとしてそのパフォーマンスを堪能し、それが完成するまでの道のりを見つめる自分がいました。

「義足なのに」「片足で大変でしょうに」という意識は、一切消え去っていました。

夢や目標を抱いてそれを追う人達は皆、どこかで挫折を経験し、そこから這い上がって希望を見出し、自己実現していくのです。間で何が起こって何を見出すのかという過程は人それぞれ。義足というのもきっとあくまでその一例でしかないのでしょう。

今日見たハートネットTVの再放送の中で大前さんは「言い訳を作ってしまう自分が障害」と語っていましたが、表現者たる自分にとって一番の大敵は諦め妥協する自分であって、義足はハンディキャップでも何でもないのだという強い信念・覚悟を感じました。

「障がいがあって可哀想」とか「障がいに負けずに頑張ってて……」という類の意識を私たちはなぜ抱いてしまうのか、そんな考えがかえってそうした人達を不幸にしているのではないか、今一度見つめ直さなければと強く思った次第なのでした。

 

NHKスペシャルの方のドキュメンタリーの最後、大前さんは自分と同じように、片足が義足という男の子と出会い「君、ダンスは好きかい?俺の2世にならないか?」と声をかけていました。

大前さんがステップを踏んで見せるのを、くりくりした瞳で見つめていた男の子は、あの時何を感じていたのでしょうか。。。立派に生きていってほしいものです。